ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

人生漂流中

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どうにもこうにも人生が漂流している感覚がする。





最近内面的なこと書いてないなと思ったので頭に浮かんだままのことを一気に書き連ねてみる。




決めなきゃいけないこと、いろんな動かしようのないデッドラインがあちらこちらに散らばっているはずなのに、
なんだか手が動かなくなってしまった、そんな感覚。


留学の準備が手続き上ストップしてしまって困っていることとか。
買い替えたいものをいまだに買い替えられずうろうろしていることとか。
ちゃんと計画的にやるべきことやっておきたいことを隅っこに置き忘れかけたようになっていることとか。
全部全部放り投げて布団の上でだらりとする時間の楽しさが身に染みる時とか。
お金が出ていく一方なことに対するぼんやりとした焦りとか。
ほんとうはもっと他のことできるはずの時間を空っぽの時間にして自分に言い訳するときとか。


やるべきことに目を向ければあまりにも山積みで、
優先順位をつけなきゃ到底厳しいような状況で、
それでも目を向けさえしなければ楽でいられるような気がして、
一回くらい夜更かしして我慢すればどうにかなるような気がして、
でも結局それじゃどうにもならないことがあるってこと、もう十分に知っているはずなのに。




周りはちゃんと進んでいる時なのに、
私と来たら漂流しっぱなしで。

「マイペース」「人は人、自分は自分」と言ってみたって、開き直ってみたって、
見えないところでちょっとずつ選択肢は減っていくのを見てみぬふりしているだけなのかもしれない。


皆いったい何をどうやってちゃんと物事を考えられるようになるのでしょう。
私は考えすぎなのでしょうか。



何かをするには短いけど、何もしないには長すぎる、
そんなタイムスケジュールで日々を過ごしているような感覚。







とりあえず日付変わる前に寝られるようにしたい。
せめて日付変わってから1時間以内に寝られるようにしたい。

それすらできなくなったのはいったいどういうことだろう。
自分には夜と朝とを時間単位で縛るものがあまりにも少ない、そんな気がする。
それを自分でどうこうできる問題なのかと。
人とのアポイントメントとかでもない限りなかなかずるずると起きてしまうものなのでしょう。

一人暮らしだとますますよろしくない。実家だと家族が規則正しくお風呂入ってご飯食べて寝ているのを意識せざるをえない。すると、「ああもうこんな時間なんだな」って思って、自然と自分も寝支度したくなる。
一人暮らしだと、時計見て10時も11時もほとんど同じのように思える。相変わらず私は部屋に一人で、外は暗いままで、お風呂もいつでも入れる。1時間前も、1時間後も。ひどいと朝、窓の外がうっすら青く明るくなってくる時まで起きていてしまう。外が明るくなるという変化があって、はじめて「ああもうこんな時間なんだな」と焦り始めてあわてて布団にもぐりこむ。そんな感じ。留学中は寮暮らしで相部屋だから不安ではあるけど、誰か他の人が同じ部屋にいるってこういう視点からするとメリットでもありそうな気もするからたのしみ。







前よりも少しずつ進歩していることもあるはず。
良いこと、楽しみなこと、いっぱいあるはず。
恵まれていることがらもいくらだって数え上げられるはず。



それなのに、相変わらず腰は重くて、ありとあらゆることは三日坊主ばかりで。
三日坊主でも10回繰り返せば1か月になる。
でも、1か月できることを2、3か月に分けているわけだからそりゃ明らかに効率落ちるだろうなと。



見てみぬふりをするのも、先延ばしにし続けるのもパワーがいる。
そんなことにパワー使うくらいなら、正面切ってさっさとぶつかって、さっさと消耗して、またパワーチャージしなおせばいい。
「先延ばしにして良いことなんてなにひとつない」
あまりにも当たり前のことができなくなったのはいったいなぜなのだろう。





何一つ結論出してないけど、今日はこのくらい。